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「山口から世界を変える」講演会、第2部についてまとめました!

山口から世界を変えるパンフ裏

 
 
前回お伝えした、山口市民会館での講演会「山口から世界を変える」についての続編です。 
 
参考: 
 
こんまり(近藤麻理恵)さん、山口での講演会「山口から世界を変える」に行ってきました! 
 
こんまり(近藤麻理恵)さん、山口での講演会について。おまけ 
 
 
 
前回は、第1部のこんまりさんの講演会でした。 
 
今回は、第2部のパネルディスカッションの模様と感想をお伝えしたいと思います。
 
 

 

登壇者について

 
登壇者は5名。 
 
パネリストの 
 
和泉 新(いずみ あらた)さん、 
 
小川 仁志(おがわ ひとし)さん、 
 
中司 祉岐(なかづか よしき)さん、 
 
特別ゲストの徳升 笑子(とくます えみこ)さん、 
 
司会進行の大和 良子(やまと よしこ)さん。 
 
 
 
皆さん、とてもすごい経歴の持ち主です。 
 
パネルディスカッションのタイトルである「山口から世界を変える〜世界で戦える日本人をどう育てるか?」にふさわしい方たちでした。 
 
 
 
そんなパネリストの4名を、それぞれ一言で表すと、 
 
☆徳升 笑子さん…オノ・ヨーコさんなどのセレブを顧客に持つフローリスト 
 
☆和泉 新さん…インドでプロサッカー選手。インド代表にも 
 
☆小川 仁志さん…100冊以上の本を出した哲学者 
 
☆中司 祉岐さん…今回の主催。顧客の85%を売上2倍にした企業コンサルタント 
 
 
という、ものすごい面々です。 
 
(上の一言では全然伝えきれないくらいの、ほんとうにすごい人たちです) 
 
 
 
「山口から世界を変える」をテーマに、皆さん経験談を話してくださいました。 
 
司会の方の「どうやって目標に到達したか」「挫折したことは?」などの質問に、それぞれ答えられたのですが、性格や個性がはっきり出るなぁと思いました。 
 
 
 
講演会では皆さん順番にお話されていましたが、お一人ずつまとめました。
 

徳升 笑子さんのお話

 
徳升さんは、元々はバレエをしていましたが、10才の交通事故でプロになるのを諦め、 
 
その後、ニューヨークに魅かれ、移り住みます。 
 
バレエは諦め、2番目にやりたかった花の仕事に就くことにしたそうです。 
 
 
 
徳升さんは、とにかく「こうと決めたらこう」「やると決めたらやる」という人でした。 
 
 
 
でも、ご本人はとてもフワっとした方で、司会の大和さんが「柳のような」と形容していましたが正にその通り。 
 
我を通す強い女というイメージは全然なく、しなやか〜に、でも折れることなく突き進んで来られたのだと思います。 
 
 
 
なんども「そう決めたのだからそうする」とおっしゃっていて、目指したものがずっとブレずにあるのだと思いました。 
 
英語もなかなか話せない中で帰国したくなったことも、もちろんあるそうです。 
 
でも、そう思っても、思うだけでその選択肢はないそうです。 
 
 
 
これぞまさに、「そう決めたのだからそうする」ですよね。 
 
そんな強い思いで、「ニューヨークの日本人の中で、お花で1番になる」という目標を持ち続け、叶えられました。
 

 

和泉 新さんのお話

 
和泉さんは徳升さんとは、対照的です。 
 
流されるというと悪い意味に取られそうですが、求められるままそれに答えていたら今があるという感じでした。 
 
 
 
和泉さんが何度もおっしゃっていたのは、周りの家族や友人などの力です。 
 
彼らの期待や夢を、自分の力に変えて活躍されているのだなと思いました。 
 
 
 
インドでは外国人選手としての期待や年俸のプレッシャーがあり、骨折しても骨折したまま半年プレーし続けたような努力の人です。 
 
(ただ、半年間にかかった複数の医者が皆「骨折じゃないよ」と言っていたため、骨折に気づくのが遅れたそうですが…) 
 
 
 
そんな和泉さん、引退について聞かれると、 
 
「キング・カズを見て年齢は関係ないと思った。求められればいつまででもどこででも」 
 
とおっしゃっていました。 
 
 
 
あと、インドに長く住むと顔つきも似てくるんだなぁ、なんて思っていたら、日本とインドのハーフということでした。
 
 

小川 仁志さんのお話

 
この方は、現在哲学者として大学の教授もされている方なのですが、そうとは思えない、とても親近感のわく方でした。 
 
 
 
なぜなら小川さんは、20代後半から5年間引きこもりだったというのです。 
 
大学を卒業し伊藤忠という大手企業に入ったものの、勤務先の台湾や北京で触発され、自分も何かしたいと思い退社。 
 
退社したけれども、やりたいこともなく引きこもりになったそうです。 
 
 
 
引きこもり続けてどうにもならなくなったとき、小川さんを育ててくれたお祖母さんに助けを求めたところ、「まだ30代じゃないか」と言われたそうです。 
 
お祖母さんが30代の頃は、戦争で一面焼け野原、そこから頑張って今があるというのを聞いて、自分もこれからやっていけばいいじゃないかと思ったそうです。 
 
 
 
そうして、名古屋で働きながら夜学で勉強し、哲学の道に進んだそうです。 
 
 
 
小川さんの言葉で印象に残ったのは、目標を可視化すること、細かく落とし込むこと。 
 
夢や目標があっても、それが遠いと諦めてしまいがちですが、日々やることを明確にすれば、それをこなしていくだけだとおっしゃっていました。 
 
また、可視化ということで、職場にはご自身の著書を全て見えるように飾っているそうです。 
 
 
 
また、哲学者の言葉を引用した、「内に向かうな外に向かえ」という言葉がずっしりと胸にきました。 
 
 
 
小川さんほど華やかな経歴はないのですが、わたしも引きこもり経験者なので身につまされる思いでした。 
 
現在は外に出られるようになりましたが、発達障害の特性ゆえ、どうしても自分の内側に入りがちです。 
 
けれども、世界はわたしの外に広がっているのです。 
 
外の世界は怖いですが、勇気を出して外に向かうことが大事だと改めて実感しました。 
 
また、5年も引きこもりだった小川さんが、30代から今のように飛躍したことはとても勇気をもらえました。 
 
わたしも、今からだって、もっとがんばることや活躍することができるかもしれないと思えました。
 

 

中司 祉岐さんのお話

 
中司さんは、高校時代にほとんど勉強をしなかったそうで、進路が決まらないまま卒業式を迎えたそうです。 
 
その後は、飲食店に誘われアルバイトをするものの、あまりにも売り上げがなく、バイト代の心配をするほど。 
 
そこで、中司さんは工夫をします。 
 
手書きのチラシを配ったり、シーツを利用して手書きの旗を作ったり、ケーブルテレビで流してもらったり。 
 
そうこうするうちに、売り上げが上がるようになったそうです。 
 
 
 
そうしたら、次は美容院から声がかかりました。 
 
でも、そこも売り上げが悪く、なんとか工夫をするうちに売り上げが上がって、さらにまた別の店から声がかかり… 
 
そうして経験を積むうちに、自分のやっていることがコンサルティングだと気づき、起業したそうです。 
 
 
 
中司さんも、流れに乗るタイプですね。 
 
与えられた中で、できる限りのことを工夫を凝らしてやる、そうすることで次が見えてきたのだと思います。 
 
また、お母様が「諦めちゃダメだ」というのが口癖だったとのことで、どうしようもなくても必死になんとかすることができたのでしょう。 
 
 
 
そして、中司さんが最初に言っていたのが、声を掛け合うことの大切さです。 
 
孤独な中でやっていると疑心暗鬼になってしまう、良いところを見つけ、大丈夫だと応援することがとても力になるということです。 
 
これは仕事だけでなく、なんでもそうだと思います。 
 
わたしがうつから抜けられたのは、いつも寄り添い声を掛けてくれた夫の力がとても大きいと思っています。
 

 

最後に

 
今回わたしが山口まで足を運んだのは、こんまりさんが一番の目的でしたが、この講演会「山口から世界を変える」というタイトルが気になったことも理由の1つです。 
 
小川さん、中司さんは山口で活躍され、和泉さんは山口出身。 
 
彼らは、都会だとか、地方だとかは関係なく、できることをしていました。 
 
また、徳升さんが言っていたように「山口も世界の1つ」です。 
 
自分のまわりの世界を変えることで、大きな世界も変わっていくのだろうと思いました。 
 
 
 
皆さんがおっしゃっていたのは「目標があればそれに向かって進むこと」、それだけだということです。 
 
ダメだと言う意見(自分のも他人のも)を取り入れず、とにかくやってみる。 
 
やってみてダメなら、そのときにどうするかを考え、とにかくやり続けてきたというのが印象的でした。 
 
 
 
わたしは今、自分らしく生きることを心がけています。 
 
そうしていくうちに、やりたいことも出てくると思っています。 
 
そして何か目標が出てきた時には、ひたすらそれに向かって進んでいきたいと思いました。