2月25日(日)に行われた「ひきこもりUXフェス vol.2」に参加しました。
>> 「ひきこもりUXフェス vol.2」に行ってきました。レポートと感想です
その中で東大教授の安冨歩さんのトークショーがあり、とても面白かったのでまとめたいと思います。
当日のメモを見て、思い出しながら書いています。
言い回しなど、多少異なるところはあると思いますがご了承ください。
トークショーと安冨歩さんについて
トークショーのテーマは「生きる技法 ─公開質問! 安冨さんに聞いてみよう─」です。
当日、質問のある人は付箋に書いて入口のボードに貼っておきます。
それらの質問からいくつか、安冨さんが答えてくれます。
安冨歩さんについては、ネットの記事で顔写真を見たことがありました。
とても綺麗な方だなぁという印象でした。
当日、パンフレットを読んでいて目が釘付けになりました。
(下の写真の赤いラインです)
女性装??? え、女性じゃないの???
と、頭が混乱したところでトークショーが始まりました。
以下、内容を抜粋してお伝えします。
外見が変わって、変わったこと
わたしの混乱への答えのように、外見のお話がありました。
「以前は、ひげもじゃのおじさんでした」とおっしゃっていて、画像検索したら出てきました。
ひげもじゃのおじさんから美しい女性へ変わったことで、キレにくくなったそうです。
以前は偉い人が間違ったことや矛盾したことを言っていると、すぐに噛みついていたとのこと。
本来の自分とは違う姿をしている怒りが、偉い人へ向かっていたようです。
女性装をすることでその怒りが収まり、以前ほど攻撃的ではなくなったそうです。
なんとなくわかる気がします。
わたしは以前、自分のことが認められずダメ出しばかりしていました。
その頃は、世の中の正しくないことが許せませんでした。
ダメな自分を認めてからは、正しくなくてもそれもアリか…と思えるようになりました。
(そもそも、「正しい」「正しくない」ってナニ?という話ですが)
生きづらさについて
「生きづらさを社会のせいにしても、現実の自分は何も変わっていない」というような質問がありました。
安冨先生「生きづらさなんてものはない」
生きづらさを抱えている人が集まっている会場がどよめきました。
安冨先生いわく、
生きるのは楽しいに決まっている、生きづらさはありえない。
「生きている」と「ずっとつらい」は別の話。
動物は生きるのも死ぬのもつらくない、生に対する怯えは人間の大脳による産物。
ということでした。
つらいのにはつらい理由があり、その苦しみの原因を取り除かないと変わらない。
そのためには、それを探さないといけない。
けれども、それを認めたくないから社会のせいにしている。
社会のせいにするというのは、解釈を変えているだけ。
それでは、結局つらさも無くならず、何も変わらないのは当たり前。
安冨先生にとってそれは、「母親」と「男性の格好」でした。
母親と連絡を絶ち、女性装をすることで変わったそうです。
親の呪いとの戦い方
これは、戦うしかないという答えでした。
親と戦うというよりは、親に対する恐怖との戦い。
つまり、自分の中で戦う必要があります。
「愛情を愛情として認識すること、
そうじゃないものをそうじゃないと認識すること」が大事だそうです。
「あなたのためだから」と言われても、それが本当の愛情なのかそうでないかを見極めなければいけません。
生まれた時から刷り込まれているものなので、自分で気づいて入れ替えるのはとても大変な作業だとおっしゃっていました。
安冨先生は40年間何をしても良くならなかったアレルギー性鼻炎が、母親と連絡を絶ったら治ったそうです。
呪縛ってこわいですね。。
生きる意味、楽しむ決意
生きることを楽しむ以外に生きる意味はない。
安冨先生はご自身が苦しんだ末に、今の姿があるのだと思います。
すでに悟られている感じで、悟りの境地というような言葉がたくさん出てきます。
楽しむ決意、
楽しめないなら死ぬ決意。
最低限の楽しさはあるので、それを守る。
最低限の楽しさとは、
お腹が空いた時に何かを食べることや
トイレに行ってスッキリすることなど、
本能に結びついているもののことです。
そういったものはそうそう無くならないので、それらを大切にするといいそうです。
また、幸せは幻想なのでそれを追うとつらくなりますと。
この世に恐ろしいことは何もない、
MAXで死ぬことくらい、
でもそれは、いずれみんな死ぬ、
だから、ビビらないことが大事だということでした。
なりすましについて
社会で生きていくために何者かになりすますことについて、
安冨先生の女装もまた「なりすまし」ではないか?という質問でした。
安冨先生の答えは、
「男性として生きることがなりすましだった。
現在の女性装こそ、ありのまま」です。
また「生きるためになりすます」ことについて、
「生きている意味なくない?
原則以下、死んだ方がマシ」とバッサリおっしゃていました。
生きるためには働かなくてはいけない?
満員電車に詰め込まれるサラリーマンについてのお話もありました。
動物を同じように満員電車に詰め込んだら、大暴れするだろう、
人間が大人しくしているのは、大脳があるから。
満員電車は動物的にはありえない。
そう考えると、ひきこもりは東京のサラリーマンよりはマシ。
サラリーマンがそんな思いをしてまで働くのは、生きていくためです。
そのことについても、
何とかなるんじゃないか、
生き物として耐えられる範囲でできる仕事もある。
何か自分でできることで、ご飯くらい食べられるはず、
そういう仕事を作る。
(ひきこもりが)集まることで何かになる、
死なないでいられるレベルの何かがあるはず。
今の日本には空き家が800万軒ある、
田舎なら、住んだら自治体からお金がもらえるところもある、
そういうところに住むのも手。
田舎なら食べ物はわけてもらえる、
光熱費など本当に必要なのは年50万円くらい。
それくらいなら助け合うことで何とかなりそう、
という心強い言葉がありました。
これからどうしていったらいいですか?
ものすごいざっくりした質問がきました。
安冨先生の答えは、
「ひきこもりであらねばならないと思っていれば、いつのまにかひきこもりではなくなっているはず」
という、これまた深いものでした。
トイレに行くこと、風呂に入ること、食事すること、寝ること、
禅ではこれら全てが修行、そして全てを繰り返すのが悟りだそうです。
これら、1つ1つに喜びを感じられるかが大事で、
せっかくひきこもりなんだから、1つ1つを命がけに楽しめば不安はなくなるというお話でした。
確かに、わたしも過去や未来を思って何もできずにいるよりも、
目の前のことを集中して行うことが大切だという実感があります。
生きる意味がわからなくて不安になったら?という質問には、
生きてることが意味、
寝てウンコすることが意味。
とりあえずトイレに行ってスッキリしましょう!とのお答えでした。
最後に
安冨先生のお話は、終始スパッと気もちの良いものでした。
わたしもこの2年ほど「うつ」を何とかするために行動してきたので、安冨先生のお話がストンと入ってきました。
けれども、もし以前のわたしが聞いていたら、共感できずにいたかもしれません。
「生きづらさはあるし、どうしたらいいかわからない」、
「先生だからそうやって考えられるけれど、わたしには無理」、
そんなふうに思っていたような気がします。
過去のわたしや、同じように思ってしまう人がいたら、安冨先生がおっしゃっていた言葉をかけたいです。
「自分を追い立てる『せねばならぬ』は、自分自身への自己嫌悪」です。
あと「大脳には気をつけて」ということです。
(ずっとおっしゃっていました笑)