忘れっぽさについて
わたしはとても忘れっぽいです。
自分の考えたことでも、けっこうすぐに忘れます。
どれくらい忘れるかというと、
この1〜2年、うつを何とかしようとしている中で、様々な気づきが多いです。
気づいたことがあると、夫にそれを伝えます。
すると、夫の返事はたいてい「それ前にも聞いたよ」です。
どうやら、以前にも同じようなことを気づいているらしいのです。
けれども、そのことを忘れ、何度も「気づいたことがある!」と嬉々としているようです。
夫から「前にも聞いたよ」と何度も言われたわたしは、初めはしょげていました。
以前にも気づいたはずなのに、なぜまた同じことを繰り返しているのだろう…
わたしは同じところを堂々巡りして、全然前に進んでいないのではないだろうか…
そんな風に思っていました。
それでも、何度もなんども「気づいたことがある!」と言っているうちに変化がありました。
気づいては忘れ、気づいては忘れ、と繰り返している中で、確実に自分のモノにしている実感が出てくるようになりました。
少しずつ、自分のモノにしている実感
夫から投げかけられた、ある言葉があります。
それは「自分本位」。
夫が使う「自分本位」という言葉は、決してわたしを責めるつもりで言っていません。
うつや発達障害があると、どうしても「自分本位」の考えになってしまい、それが自分を苦しめているという内容です。
けれども、幼少期から「わがままだ」「自分勝手だ」と言われてきたわたしは、どうしても責められているように受け取ってしまいます。
そんなわたしですが、コツコツと考え方のクセを直している中で、少しずつ客観的に自分を見られるようになってきました。
あるとき、いつものように夫が「自分本位」という言葉を発しました。
そのときのわたしの答えは、「そうだよね、自分本位に考えてしまうから苦しいんだよね。自分本位になってしまう特徴だもんね」というものでした。
あれほど嫌がっていた「自分本位」という言葉を受け入れていました。
そういう風に、少しずつ「自分の考え方が変わってきているな」と実感することが増えてきています。
100分の1の考え方
水前寺清子さんの歌で「三百六十五歩のマーチ」があります。
一日一歩 三日で三歩
三歩進んで 二歩さがる
この歌詞だと、結局三日で一歩進んでいることになります。
わたしの場合はもっとひどくて、100歩進んで99歩さがっているようなところがあります。
このことに気づいたとき、やっぱりわたしは絶望しました。
全然前に進んでいない、
わたしはやっぱりダメだ、と思いました。
ですが99歩さがっても、一歩は確実に進んでいるなと実感するようになってからは、わたしはそれでいいんだと肯定できるようになってきました。
たとえ99歩さがっていたとしても、進んだ一歩を大切にしようと思えるようになったのです。
そう思えるようになってからは、何事においてもその一歩にフォーカスしています。
100の気づきのうち、99忘れても1は覚えている、
100トライして、99失敗しても1は成功した、というように。
世の中の人は、きっともっと効率がいいのだと思います。
けれども、わたしは不器用だから100のうち、1つくらいです。
たった1つでも、その1つが2つになり、3つになり、どんどん増えていきます。
そうやってわたしは、100分の1を積み上げて生きることにしました。