2016年に、私は「自分を変える」と決意しました。
今までの生きづらい自分をなんとかしたかったからです。
(このことについては、何度かブログの記事にもしました)
その話を友人にしたところ、「でも、ありのままの自分でいることも大切だよね」と言われました。
確かに、自分を偽らず、ありのままの自分でいることも必要です。
友人に問いかけられ、すぐに返事ができませんでした。
その後もずっと考えて続けていたら、あるとき「ニーバーの祈り」を知りました。
「ありのままの自分でいる」と「自分を変える」、この2つをわたしなりに両立させる答えがありました。
ニーバーの祈り
「ニーバーの祈り」とは、次のようなものです。
神よ
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
https://www.seig.ac.jp/edu/inori.htm
かつて、学校や会社でうまくいかず、くじけることが多くありました。
そのたびに、「わたしがいけないんだ、ダメなわたしのせいだ」と思っていました。
そして、自分なりに「ダメな自分を何とか」しているつもりでした。
つもり…というのは、何とかしているはずなのに、いつも同じようにつまづいていたからです。
今ならわかります。
ニーバーが言うところの、「変えることのできないもの」を変えようとしていたため、無理があったのです。
わたしにできることは、「変えることのできるもの」を変えること、「変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する」ことでした。
「変えられるもの」と「変えられないもの」
具体的にいうと、わたしの場合、
「変えられるもの」は、自分の行動、考え方のクセ、などです。
「変えられないもの」は、自分の特性である発達障害やHSP気質の過敏さなどです。
今までは、これらのことを理解していなかったため、自分の特性を無理やりにでも「ふつう」に変えようとしていました。
それは、結局、体に負担を掛けたり、無理をすることだったため、どこかで破綻していました。
わたしがやるべきだったのは、特性や気質を理解した上で、どのように工夫するかを考えて実行することでした。
「ありのままの自分」と「自分を変える」
つまり、友人が言った「ありのままの自分」というのは、ニーバーが言うところの「変えられないもの」。
わたしが決意した「自分を変える」というのは、「変えられるもの」となります。
そのため、「ありのままの自分でいながら、自分を変える」ことはできるのです。
「自分を変えてきた」結果
2016年に「自分を変える」と決意してから、コツコツと行動してきました。
その結果、自分は「ふつう」ではないと思い知らされることが多くありました。
しかし、それを受け入れ、「じゃあどうするか」を考えることができるようになりました。
今は、わたしなりの生き方を少しずつ手に入れられています。
無理をせず、飾らず、素のままの自分で、できることをやっています。